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カマキリ生まれる

以前書いたアガベに産み付けられたカマキリの卵。
あれから半年以上が経ってしまい、無精卵だったのかしら?取って捨てちゃおうかな・・・なんて思っていた昨日の出来事。ふと見ると小さな虫がわんさかついてるのに気がついた。
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近寄って見ると
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無事孵化したんですね~。[わーい(嬉しい顔)]
この様子からみると出てきて数時間は経ってるんじゃないかと思われます。
きっと体が硬くなるまでここで甲羅干し状態だったんでしょう。
私が鉢を動かしたもんだから慌ててぴょんと飛んで逃げ出す子やら、葉っぱから滑り落ちる子やらてんやわんやになってしまいました。
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翅こそありませんが、形はカマキリ。三角のお顔が可愛いです。
今日になっても庭のあちこちで昨日孵ったカマキリを見かけます。大人になれるのはどれぐらいなのかな?

インコのひな [ペット]

以前アップしたインコが売られてしまった。というのも人気の鳥なので欲しがるショップが多く、飯塚(ここからだとかなり遠方)の業者に卸す為にはたくさん持っていかないと割が合わないために出してしまったと友達から連絡があった。

お宅に電話するとお母さんが「ごめんなさいね、連絡付ける暇もなくて・・・雛はまだいっぱいいるから見においで」と言われずうずうしくも行ってきました。

今回初めて巣箱の中を覗かしてもらったのですが、5羽ほどかたまってギーギーと鳴いてました。(そんな育児中の巣箱が他にも4つほどありましたが)見たのは前回の雛の居た巣箱だけ。

生まれてる雛たちはかなり大きさに差があってびっくり。
一番小さいものは生まれて間もない感じ、はだかん坊の目も開いていない。いったい何の鳥なのかもわからないような雛。一番大きいのでも前回みた鳥の3分の2ぐらい。
どうせ、どんな色になるのか、オスなのかメスなのかもわからないので、とりあえずなかでも一番大きな子を選び「この子でいいです」って言ってきたけど・・・ほんと同じ親から生まれていても色の感じがちょっと違う。

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前の子はオカメ特有の「ほほ紅」がなかったのだが、この子は可愛いいほほ紅がある。

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↑↓ちなみに両親はこんな模様(今はこんな模様がはやりなんだそうな・・・)
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オカメインコというと白かグレーしか知らなかったのだが、今ではいろんな色や模様が開発され、当然そういったものが高く売れるんだそうな・・・そんなわけでここにはスタンダードな白とかグレーは一羽もおらず、同じ白でも(ほほ紅のない)きれいな純白のインコとブチというかマダラ模様というかそんなインコばかりいました。

本当は普通の白いオカメでよかったのですが、もうこの際なんだっていいやって心境です。(だってどの子もかわいいんだもん)どっちにしろ、まだまだ小さいからうちに来るのは7月頃かな~、不安半分・期待半分。


介護認定調査 [介護福祉士]

昨日は旦那の母の認定調査だった。これは役所の調査員の方が来て三者懇談のようなもの。ほかにもDrのところに現状の確認の書類がいっており、これらを元に審議が行われ介護度が決まる仕組み。

介護申請をしてから意外と早い認定調査で病院の相談員の方がびっくりしてた。
この日は、認定調査の少し早い時間に介護申請の流れのようなものを説明に病院の相談員(?)さんが説明に来てくれた。これは本当は家族同伴だが私は介護福祉士なので説明は母だけでも良いと言われていたのだが、この認定調査もありどうせ病院に行かねばならず、これにも立ち会った。

割とクリアですが、体のほうは指先はリュウマチのように変形し、ここ数年で両手首を折ってるのでうまく回らないし、円背(猫背のひどいようなもの)で両腕を肩より上げるととバランスを崩し転倒しそうな感じ。骨粗しょう症もあり毎年どこかしら折れて入院してるし、耳は補聴器なしではほとんど聞こえないくせにこの補聴器をはずしてることが多い。目も両目とも網膜に傷がありあまり見えていないのだが、そんな不自由な体で一人で暮らすことができるんだから要支援かいっても要介護1ぐらいかもしれない。

驚いたことに相談員や認定調査員の「今後はどうしたいですか?」という質問に、「デイサービスとかに行ってお風呂に入れてもらってもいい」とか「ヘルパーさんに来てもらって通院とか家のことを手伝ってもらってもいいから島で生活したい」というような内容のことを言っていた。

「他人の世話にならない。」
「そんな、よそ様の世話になってる人間は周りには居ない。」
「みんな家のものが面倒看てある。」
なんて言って私たちが帰ってくることだけを願っていたのに・・・・本心なんだろうか?
彼この言葉を素直に受け取ってるのだろう、私に「良かったですね~」と言う笑顔を送ってくる。
私は正直なところ疑心暗鬼なのだが・・・。

私に今後の希望を聞かれたのですぐに島で一人で暮らすことはできないと思ってる。こっちでデイサービスとかデイケアに通ってもらって様子も見たいと答えた。
私が老健の職員と言うことを話し、デイケアならうちのサービス(でも大所帯)か、もっとこじんまりとした少人数のとこを考えてると言うと認定調査の方が「ああ、デイケアと聞いたとき○○○○(うちの職場)を薦めようと思いました。あそこの方でしたか、だったら安心ですね」なんて言ってくれたのがちょっとうれしかったのだが、実は個人的に問題がある。
何せ、いままで旦那の悪口やら、島の悪口やら、農家の本家の長男の嫁の悲惨さ、盆正月の地獄の巡業(拉致・強制労働とまで)散々同僚に愚痴ってきてるのだ。
みんなに口止めしておかなくちゃいけない。トホホ(自業自得)
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介護申請 [肉サボ]

7日無事母の手術が終わった。連休前に島から転出届を送ってもらっていたので昨日はこっちに転入届を出し介護申請を出してきた。高齢者関係の担当の方は「手術されるだけならそこまでしなくても」と言われたが、住民票を移さなくても介護が受けられるのならそれでもいいのだがすでにベットを借りてるし、退院後もすぐには島に帰れないことや、シャワーチェアーとかお風呂の手すりなんかも買わないといけない事を説明。それに退院後より今の方が介護度が上がるだろうという下心も素直に説明。w
(退院してしまえばたぶん要支援。行っても介護1。ベットを借りるには介護2以上必要なのだ。)

介護申請をする理由のひとつにはデイケアとかに慣れてほしいということもある。
とにかく「なんでも自分で出来る」の一点張りの挙句に動けなくなって親戚の方から強制入院させられてる事なんてすっかり忘れてる。入院先の相談員とも話をしてきたのだが島の方々は往々にしてそう(困っていても人の目を気にしてそういうものを利用しない)なんだとか。そういえば介護制度が始まった頃の年寄りはみんなそうだった気がする。
高齢者ばかりの島々の場合、年寄りみんなが利用したら財政がパンクしかねない、暗黙の抑止力が存在してるのかもしれない・・・なんて思うのは気のせいだろうか?
どちらにしろ退院後はしばらくうちにいるだろうから、リハビリも兼ねてこういったサービスに慣れてもらって島に帰ってからも独居生活なので通所や訪問看・介護など受けてほしいということを説明しなんとか判ってもらえた。

ただ手続きをしてて思ったのは後期高齢者医療やら介護保険やらを年金から差っぴくいまの制度。
あれも県が変わるので福岡に移行せねばならず、とにかく長崎の役所に連絡したら、負担区分証明書発行の書類を送るのでそれを書いて後期高齢者医療証などと一緒に送れと言う。それをもらってこっちの役所に行くわけだが、これもすぐにはできないのでしばらくは振込用紙が送られてくるのでそれで自分で納付しないといけないんだそうな・・・。

これって独居暮らしの年寄りが自分で出来ることだろうか?
年取って子供のとことかに身を寄せる人って多いよね。
県が変わるとほんと大変。
子供が若ければまだ何とかできるだろうが子供もすでに高齢者ってうちもあるもん。
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ピーちゃん [ペット]

なんの脈絡もなく突然、悲しみに襲われる。ペットロスと呼ばれるものだろう。犬がいても猫がいてもやはりピーちゃんがいない事が寂しい。
今まで気が付かなかったのだが語尾の最後に「ねえピーちゃん」と言うのが私の家での口癖だった。「そろそろご飯の支度をしようかね、ピーちゃん」とか「今日は洗濯せないかんね、ピーちゃん」とか・・。そのつど律儀に鳴いて返事をしてくれてた。
「あー(娘)はバカちんだよね、ピーちゃん」と聞いても「ピヨッ」って鳴くので娘が「あれは『違う』って言ってるんだもん」なんて言ってた。

いなくなっても相変わらず「~ね、ピーちゃん」と言ってしまっては悲しくなるのだ。ところが一週間程が過ぎたある日、確かに返事が聞こえた。それもしっかりはっきり。それは「いい加減にして!成仏できないでしょ!」って怒ってるようにも聞こえた。その翌日ぐらいに友達から電話が来た。「オカメ生まれたんだけど見に来る?」

そう言えば何ヶ月か前にセキセイインコを飼ってると言う話から、その子は実家のご両親がオカメインコのブリーダーで、大きな鳥用の小屋があって、いまだに沢山のオカメインコがいるなんて話をした。自分は「もう(鳥は)うんざりで飼う気がないんだけ欲しければ卸値で売ってあげるから見においで」って言われ、「ピーがいるから飼えないけど、ヒナ見てみたいなあ」なんて話をした。

これは縁というものかもれない。すっかり忘れてたのに彼女は覚えてて声をかけてくれた。それに頭の中に残ってるピーの声が「行け」って言ってるような気がして見に行ってみた。

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生まれて3週間目ほどだそうだ。私は鶏のヒヨコのようなフワフワしたヒナを想像していたものだからおどろいた。だって鳥の顔をしたハリネズミだもん。
声も「ピヨピヨ」なんてかわいらしいものじゃない。「ギェ~~ッ!、ギェ~~~~ッ!」とうるさい。

お母さんはすっかり売る気だ、普通(ペットショップや小鳥屋さんは)この大きさか、もっと小さい雛を買って行くんだそうだ。(人に慣らすためにはできるだけ小さいうちから人の手で育てないといけないらしい)
しかしそれはうちじゃ無理だというと「自分で餌を食べれるようになるまで私が育ててあげるから」とありがたいお言葉。(この頃のインコは30分~一時間おきに餌を欲しがるそうなので)その間どこにも出かけないで面倒を見てくれると言う事だもの。かわいいこの子を前にして、しかもそんなことまで言って頂いて「いりません」なんて言えなかった。

娘と息子には報告。雄雌わからないのでとりあえず暗号名が「ソラ」となった。
旦那はまだこの事実を知らない。




やっと開放

(28日)姑が入院。
心配したほど歩けないわけではなく。用意したポータブルトイレはまったく使わず家のトイレを使用。
だが朝、昼、晩の食事の用意が結構大変だった。
といっても早出の場合はパンを置いていくだけなんていう事もやっていましたが、昼は帰ってちょっとしたおかずを用意してまた仕事場に戻ったり、夜勤あけも休みも朝昼夜の食事の用意。
(今までしてない分)きついものがあった。幸い食事制限も好き嫌いもない母なのでたいしたものは用意していないのだが、それを用意する時間の拘束というのだろうか、どこか出かけても戻って用意しなくちゃいけないというのが精神的に堪えた。

入院先の整形外科では血圧の薬を出せないというので主人は島に住む姉に(母がかかっていた病院で)薬をもらえないか聞いてくれと電話をかけていた。私は「それは無理だろう」と言ったのだが主人も母ももらえると思ってるあたりが、すごい。たとえもらえたとしてもそれをまた送ってもらうのは(姉も)大変だとどうして思わない?まったく不思議な親子だ。

結局、近所の病院に連れて行き薬を貰うことができたのだが、母は「感じがいい病院でよかったわ~。先生も優しいし、看護婦さんもニコニコして、ほんといい病院」と喜ぶ喜ぶ。
それを見てて思い出した。今は亡き主人の父が入院していた島の病院。
ほんと看護婦もDrも感じ悪いのなんの。特に看護婦は最低。母は少しでも良くしてくれるよう心づけ(現金)を何回も渡してた。それを当たり前のように受け取るのだが意地悪してるとしか思えないような看護。
10年も前の話で今はどうなってるのかわからないが、それでもやっていけるんだから今でも変わらないんだろうな・・・と思った。

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