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やっと開放

(28日)姑が入院。
心配したほど歩けないわけではなく。用意したポータブルトイレはまったく使わず家のトイレを使用。
だが朝、昼、晩の食事の用意が結構大変だった。
といっても早出の場合はパンを置いていくだけなんていう事もやっていましたが、昼は帰ってちょっとしたおかずを用意してまた仕事場に戻ったり、夜勤あけも休みも朝昼夜の食事の用意。
(今までしてない分)きついものがあった。幸い食事制限も好き嫌いもない母なのでたいしたものは用意していないのだが、それを用意する時間の拘束というのだろうか、どこか出かけても戻って用意しなくちゃいけないというのが精神的に堪えた。

入院先の整形外科では血圧の薬を出せないというので主人は島に住む姉に(母がかかっていた病院で)薬をもらえないか聞いてくれと電話をかけていた。私は「それは無理だろう」と言ったのだが主人も母ももらえると思ってるあたりが、すごい。たとえもらえたとしてもそれをまた送ってもらうのは(姉も)大変だとどうして思わない?まったく不思議な親子だ。

結局、近所の病院に連れて行き薬を貰うことができたのだが、母は「感じがいい病院でよかったわ~。先生も優しいし、看護婦さんもニコニコして、ほんといい病院」と喜ぶ喜ぶ。
それを見てて思い出した。今は亡き主人の父が入院していた島の病院。
ほんと看護婦もDrも感じ悪いのなんの。特に看護婦は最低。母は少しでも良くしてくれるよう心づけ(現金)を何回も渡してた。それを当たり前のように受け取るのだが意地悪してるとしか思えないような看護。
10年も前の話で今はどうなってるのかわからないが、それでもやっていけるんだから今でも変わらないんだろうな・・・と思った。

オブツーサ錦.JPG






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