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どういうことだろう [介護]

姑は4~5日でICUは出たものの、こんどはNCU(脳外科の集中治療室)
に移って2週間。足りないものはないか、洗濯物はないかなど気にかかる
ので1~2日おきには頑張って顔を出しているのです。
ほかの病棟より面会時間が時間が細かく指定されているので夜勤前など
は行けません。

一旦は経口食(ゼリー)になるも飲み込み拒否のためにまた鼻からの経管
栄養。水分もとらないのでずーっと点滴が繋がれてます。
それで嘔吐したとかで、いまは1パックを2回に分けての食事。
つまり一日6回の経管栄養。
お薬も鼻から入れてるので熱は下がってるけど全身の痛みがあるようで、
体位を動かすたびにうめき声。私ということはわかってるみたいで「連れて
帰ってくれんね」と何度も言う。ほかにも言ってるのだけど聞き取れない。

入院した翌日はまだ旦那がこっちにいて長崎の某離島に住む姉も来た。
翌日には旦那は出張。離島の姉もそれっきり。
31日と1日にかけて東京の姉がやってきた。福岡市内に住む看護師を
しているいとこと行ってくれたようだが、こちらも私には、経過を聞くとか、
いつも母をゴメンネとかなんの一言もない。私も仕事休んでまで姉に
つきそう気にもなれなかったんで、つむじを曲げたのかもしれないけど。

昨日は旦那に電話しました。どちらの姉も一般病棟に移ったら付きそうって
言ってくれてますが、もうNCUに移ってだいぶん立ちます。実際にそばで
見ていて、どこまで持つかわかったもんじゃないってくらい弱ってる感じ。
いつ急変してもおかしくない。一般棟に移さないってことがそうでしょ?
島の姉にも連絡して元気なうちに会ってあげて欲しいと。

本当は言いたいわよ「あなたたちの決断でこんだけ苦しい思いをしてるって
現状を見て。知らん顔しないでさぁ。
自分たちはそれで満足かもしれないけど、(そりゃ姑が一番辛いでしょうけど)
毎回その苦しいうめき声聞いて、「連れて帰ってくれんね」って懇願される
私も地獄ですよ。」ってね。


ことしも悪夢が始まる予感 [介護]

20日の深夜、姑のいる施設つっても私の職場の別の
棟から家に電話。
姑が倒れたとのことで救急搬送を掛けるから来て
くれとのこと。旦那(こちらも普段なら出張で、この
日はたまたま家に居た)と一緒に施設に向かうと
玄関に救急車。もう救急車に乗せられてて搬送先の
病院の手配中。旦那を救急車に乗せ私は車で病院へ
行きました。

検査の結果くも膜下出血。先生がおっしゃるには
現在は出血が止まってるが、この先80%の高い
確率で再出血があり、多くはこれで命を落とす。
出血した血液のせいで脳の血管が委縮し脳梗塞
を起こす可能性もある。
開頭し、現在広がってる血を取り除き、出血した
部位、今後しそうな部位をクリップで止めて手術
してもすでに脳に受けたダメージがどの程度回復
するかは本人次第。しかも90歳という高齢であり
かなり厳しいと思われる。手術しないという選択
もありますし、するかしないかはあなた(旦那)
しだいです・・・云々

で、旦那は姉たちと相談して手術を望みました。
何もしないで死を待つことはできないとのこと。
(姑のためというより本人重視な感じがする)

手術が終わって家に帰ったのは朝の10時過ぎて
ました。その日の夜から夜勤なんで、寝なきゃと
思うけどなかなか寝れない。
うとうとすると旦那が「あれはどこ?」「これは
どこ?」と聞いてくる。

昨日夜勤から帰ってきて数時間爆睡し、夕方見に
行ったとき麻酔が切られてて意識が戻ってはきて
いましたが、状況がわかってる様子ではない感じ。
点滴とか管でつながれてるので動けないように
身体を拘束してあります。入歯もなくはっきりと
しゃべらないので何を言ってるのかよくわかりま
せん。多分、「動けない、これを外して」と訴えて
ると思われます。頭を切り開いて手術してるという
のに不思議と痛みはないようで違和感を感じました。

去年の大騒動で要介護2が出てましたが、今年の
認定調査の結果がまだ出てなくて・・・
「また要支援になって家に帰ってくる羽目になる
なら、今度は早めに精神科にかからねば」(私が
壊れてしまう)と思って毎日びくびく過ごしており
ましたが、ここにきて新たな展開になりました。

こうなってしまえば介護度は確実でしょうけど、
認定調査の時期はまだある程度自立もできていたので、
また要支援という結果だったらまた不服申請に行かない
といけないし、それまで暫定云々ケアマネ云々・・・
またあの心痛を味わう。

今回認定調査の時に、どんだけヒステリックで訴え
があるか、尿こぼしも多くなってきてるのに大きな
パットを使わない、リハパンも交換しようとせず
物をため込む収集癖、尿汚染した衣類を洗濯に出す
のも嫌がる。(自分でトイレットペーパーとかタオル
で拭いているから大丈夫と言い張る)床や靴への
尿こぼしで尿臭用の消臭剤(ファブリース)を自費で
買ってこっそり使ってもらってる。見せれば自分で
管理したがり結果しまい込むもの。
ベット周りは家に居る時よりましとはいえすごい状態。
片づけようもんなら顔真っ赤にして起こる(まるで
ゴミ屋敷の住人です)

前回も同じだったんですけどこれでも要介護2から
要支援2だったの・・・

自己決定ができてる。危険行為は少ない。他者への
迷惑行為も少ない。そう判断されてるんでしょうね。
でも一人で生活できないんですよ。生活のすべてが
他人に依存して成り立ってるのに。



困った [介護]

強めの鎮痛剤が切れたせいでまた母の訴えが増えている。
動かすと痛いのだろう、動作が緩慢なので尿こぼしも
増えているのだが、衣類の尿汚染を認めないのだ。
帰宅したらケアマネにからの着信に気がついて電話を入れた。
また体温が37.5°Cもあって入浴をどうしましょうという電話。
こんな日に限って私が携帯を忘れてしまった。
結果はシャワーと足浴で落ち着いたらしい。
向こうは床が一面絨毯で、利用者もくつ下の方が多い。
尿こぼしでくつ下を汚し借り物のくつ下で帰ってきた。
ある程度想定は出来てたので朝ズボンやくつ下など一式持って
いくように言ったのだが、今日変えたばかりだからいいと言って
持って行こうとしない。
私がいる時はこっそりデイの送迎の方に託していたのだが、
今日は勤務。ケアマネからの電話でデイでも盛んに受診したい
と訴えていた様子。黒崎先生の病院は小さいけどこの辺では名医
の先生だからと言ってくれたそうですわ。
しばらく休みが取れない↑に唯一の26日が面談日。
(とっても行きたかった)博物館も諦めざるを得ないのに、遠くの
大きい病院なんか行けないですよ。
ほんと気持ちが塞ぎます。明日も仕事。早く寝なきゃと思っても
眠れない。うつかも知れないと本気で悩んでる

訳ありの三ケ日みかんを頼んでたのが先週届いてちょっと
嬉しかったのですが、これはうちの子供達も大好きでもう箱の
3分の2がない。また頼もうかなぁと思っていたら友人から
次郎柿が送られてきた。
彼は兼業農家。仕事も持ってての農作業、忙しいであろう
にありがたい事です。
私も頑張ろうって気持ちに(ちーっとばかし)なれました。

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どっちみち母の認定の面談が終わるまでは受診できません。
おかしなシステムですよ。

母との戦い後編 [介護]

泊まったのは同系列のケアハウスだった様です。翌日はいつものデイ
を利用。介護者二人がかりで帰宅。ところが母ときたら帰ってくるなり
不満噴出。

訴えその1
「昨晩は痛くて一睡もできなかった、どっか折れてるに違いないのに薬も
くれない(すでに別の病院で痛み止め貰ってたので、この日は湿布を
山ほどもらったのに)。大きい病院(以前股関節の手術をしたところを言っ
ている)で、きちんと精密検査してほしい」

訴えその2
「デイで熱があるからって入浴を断られた。なんともないって言ったのに
シャワー浴だった」(平熱が37度前後だが受診後ということもあって
無理のない対応だと思う)
大まかな訴えはこの2つでずが、他にも些細なことを文句たらたら。
「明日病院へ連れて行け」って聞きません。母の言ってる大きな病院は
道路も混んでますし、母を一旦玄関前で降ろし、遠くにある駐車場まで
止めに行き戻ってきてからの受付、検査だの受診だの言ってたらいつに
なるか見当もつきません。一日掛りになってしまいます。
土日はどうしても外せない私ですから、今回は言いました。
「明日は仕事(これはうそですけど)です。だいたい、なんだかんだ言っ
てますけど自分で起き上がってトイレもできてるじゃないですか、骨が
折れてたら動ける訳ありません。それに骨の疾患は精密検査なんて
ありません。レントゲンの結果はどこも同じです。」と、でも母も負けて
ません「もう痛くて眠れない、ようよう起きてるのよ、トイレも大変。もう
死んだがよか」などと言ってます。(死ぬ気の人が病院へ連れて行けってよく言えたもんだわ)[むかっ(怒り)]
仕方ないので前日受診した病院に電話して、今飲んでいるのより強めの
鎮痛剤をもらえるか聞いて見ました。出せるけど5:30までに来れるかと
言うのです。(この時点で5:10)でも「すぐに行きます」と返事して取りに
行きました。道がすいてれば10分で行ける距離なんですけど、夕方の
渋滞に巻き込まれたらどれだけ時間がかかるかわかりませんもの、母と
言い争ってる時間はありません。

日曜の夜くらいまでは母の訴えが続いてました。月曜の夜帰宅し、母に
明日はデイいけるのか聞いたら案の定「あっちもこっちも痛くて動けない」
と言うのです。実際は動けてるし、自力でベッドから起き上がり端座位
になれます。さらにそこから立ち上がってPWCで排泄できます。
終わったら立ち上がって自力臥床も可能。でも安静にって言われてたの
で本人がいやならやめようと思ってました。「じゃぁ、断ります」と電話
をかけていたら、奥から私を呼ぶ声が?。
「やっぱり行く」というではないですか(さっきまで痛くて動けないって
言ってたくせに)そうと決まるとそそくさと入浴の肌着など用意し出した
ゲンキンな母。

でも自分で用意した荷物には案の定洋服は一切入れてなかったので
す。尿臭って本人にはわからないんでしょうかね?ズボンを変えさせる
べく、こっそりデイの方に渡しました。なんせ衣類を洗濯するのを極端
に嫌う母。そんなわけでこの日も私は夜勤だったので晩御飯も食べて
帰ってもらいました。

翌日は9時過ぎに帰宅したのですが朝食がまだというので用意。
後で聞いたら娘が寝坊してそれどころではなかったとのこと。
この日は区変の面談の予定だったのですが延期になってしまいました。
というのも区変の面談は本人の状態が安定(1週間)してる事が条件
らしいのです。変ですよね状態が変わってるから区変かけてるんです。
受診してるからって、そもそもそっちのミスで急に退所を余儀なくされて、
家で転倒したのに‥「責任とって!」言いたいくらいなのに。[ちっ(怒った顔)]

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今年は気候がいいせいか庭の花たちが長持ちしてる。

母との戦い前編 [介護]

脇山のフリマ終了。ぶっちゃけ四人分合わせても一万ちょっと
しか売れませんでした。でも今回はこれも含めて次回への布石的
な出展なのでどうって事ないわ。このフリマ、今年は27店舗の
出展なのですが、うちのように何人か一つのお店を出してる方も
いるので作り手の数は倍以上かと思われます。お教室の先生方など、
プロに近い方もいて作品展示(広告)も兼ねた格安での販売もあり
ました。客層もこう言った器用どころが主なのでしょうね。定番商品
があまり売れなかったです。(これくらいは自分で作れる人が多い)
けどこの二日間はすっごく楽しかった。以前同僚だった方や、同僚が
家族連れで来てくれるなどアットホームな雰囲気だったし、(作り手
ばかりいるので)これはどう作るの?とかこの材料はどうしてるの?
といった情報交換や、作り手のみが知ってる苦労話や評価。売り上げ
うんぬんではないんですよ、出店者のリピーターが多いのもこの辺かな
と感じました。

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今回の出展品↑
同じ建物内の他のお店(ほんの一部)↓
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ですがここに行き着くまでに母がひと騒動。
火曜日のデイから帰ってきた日はまだよかったのですが、水曜日の夜から
どうも歩行に時間がかかる母。聞くと足が痛いと言うのです。歩けている
し食事も完食。間に合わないと言いながらもPWCも使用出来てます。
木曜の朝になっても痛みがあると言うので夜勤だったのですが病院へ連れて
行ったのです。前の晩に主人の姉が「同窓会のために帰郷するからお昼前後
になると思うが家に寄ってもいいか」というメールがあったのですが。
この受診が決まった時点で、駅の近くの病院だからそこまで来てくださいと
メール入れました。レントゲンの結果「痛がってる部位の骨は折れてはいない
が、骨粗鬆症のためすでにあっちこっち圧迫骨折を起こしており無理はでき
ないよ、安静にしておけば痛みも減るから」って診断結果。姉も一緒に聞い
てもらってよかった。外見でも円背がひどく、レントゲンの結果では背骨も
潰れているため腰骨に肋骨が埋まる様な姿勢だという事。
この日は私が夜勤。翌日はデイの日という事もありケアマネに相談して一泊
泊めてもらう事に。旦那も息子も出張中、娘一人では何かあっても対応でき
そうにないですから。
受診が終わったのが昼前、姉もいるのでどっかで食事でもと思ったのですが、
母が動きたくないというし、姉は母と一緒に食べようと二人分だけ(普通なら
私の分まで買うよね?)駅弁を買ってきてたのです。近くのスーパーで自分の
お弁当と、母の飲み物を買って車の中でランチ。そのままデイに連れて行き
ました。ついでに介護経験の全くない姉と一緒に中を見学させてもらって姉
をまた駅まで送って、一旦帰宅。
夜の痛み止めをバックに入れ忘れてたのでまたデイ届け家に行って家へ
戻ったのは2時。一時間ほど横になりましたが夜勤前にすでにクタクタです。
ですがこれはあくまでも予兆でした。続きは後編で。

区分変更の手続き [介護]

24日に自宅に帰る羽目になった母。「(´Д`)ハァ…何もできんのに」
とぼやくことしきり。(それは私も同じ意見です)
24,25,26日は幸い私が休みで家にいたのでまだ良かった
のですけど27日、誰もいない中、トイレでこけてしまったそうです。
右足の親指あたりを捻挫したようで熱感があり腫脹もあるの
ですがなんとか立ち上がることは可能なようです。
翌日夜勤だったので午前中に地域包括に行き区分変更の
手続きをしてきました。
そこの方曰く、そもそも前回の要介護2の判定も譲歩していた。
要支援2相当だろうという判定だったのだがその前が介護度4
ということもあり要介護2になったという経過を話されました。
(そんなのあたしの知ったことじゃないわよ)
今回の判定基準となる聞き取り調査の結果も見せてもらい
増したが、前回のより▼(状態がダウンしてるということを示す)
が5~6個多いんですよ、前回が要支援2相当としても今回の
要支援1はおかしいですよね。

さらに「区分変更したからって必ず介護度が変わるとは思わない
でくださいね」だって。呆れたわ。(あなた、うちの母を見ていない
くせによくそんなことが言えるわね)

とりあえず夜勤明けの今日、地域包括の方からレンタル業者
をチョイスしてもらって手すりを「お試し」で付けてもらいました。
ベッド周りとトイレに欲しかったんですが、トイレの分はうちの
便槽には合わなくて返却。
昨日出した区分申請の結果がどうなるのかわかりませんけど、
今は要支援1ですから。来月からのデイを探してもらわねば
なりません。以前行ってたところが要支援1でも2回受けてくれて
いたので聞いてもらうことにしました。あの時とはかなり状態が
悪く、歩行が厳しいので(玄関まで階段があって)時間も手間も
かかるし、そこの受け入れが無理なら違うところを探してもらう
までです。

昨日は午前中そんなこんなでバタバタ。(3度の食事の手間が
意外と面倒)一日2回ポータブルの掃除。
昼にインフルエンザの予防接種のために施設の戻り、午後から
家で地域包括の方と打ち合わせのあとまた夜勤で出社。

今年から拘束委員会に属しており、先月から福岡県高齢者
権利擁護等推進事業ってとこが主催している権利擁護推進員
養成研修に行かせて貰ってるんですけど、なぜだか周りに振り
回されることばかり起きて、自分のことがままなりません。そこの
宿題もなかなか進まない状態です。これを提出しないと修了書
が貰えない><正直、さほど欲しくもないんですけど会社命令
なのです。インフルエンザの予防接種のせいか、節々が痛い。
今日はお風呂に入ってゆっくり休みたい。







母の面談 [介護]

今朝面談は15:30ということに決まったので午前中は
病院へ行って日々の薬を貰ってくることにしました。
昨夜は夜中に寒くて眠れないと隣の部屋に寝ていた
旦那を起こし、毛布をもう一枚足してもらい、それでも
寒気が収まらないのでストーブを(3時間で切れる)
入れてもらってやっと眠れたという母。

寝る時だって、寒がりなのは知ってますから冬のファーの
マットに冬の厚手の布団(しかもカバーは毛足のある毛布
のような素材です)これに毛布を着て寝ていたんですよ~
信じられない@@;熱でも出るかと思ったけど幸い出ません
でした。病院でも延々と今朝寒かった話を繰り返し、
目薬とシップとかゆみ止めクリーム、それに朝夕の痛み止め
と胃薬、カマグの錠剤も頂いきました。

今回行きがけに玄関に腰を下ろしてもらい、靴を履かせよう
としたとたん後ろに倒れ掛かってしまい、驚きました。足が
上がらないんです。(膝から上も)靴を履かせようと足をちょっ
と持ち上げただけなのに・・・円背なので背中を骨折したら
厄介です。

階段も今までの倍くらい時間がかかります。車への乗り込みや
出るのも時間がかかります。
尿漏れもあるので尿臭がします。でもなかなかリハパンを
履き替てくれません。朝トイレに入ってる時に替えせてしまえば
よかった。「出かけるから」といえば渋々替えさせたかもしれない
のに、チャンスを逃してしまいました。
夜間はポータブルを使ってくれてますけど、若干の尿こぼしが
あります。リハパンツをもたせたいんでしょうね、トイレットペー
パーのぐるぐる巻きを股間に挟むのでトイレの紙が直ぐになく
なってしまいます。(施設でもこれをやる年寄りは多い)

母の病院が終わったら猫の病院です。アレルギーがあって
3週間ぐらい前にかゆみ止めの注射を打ってもらってだいぶ
引いてたんですけど、最近また体に掻き傷が無数にあり、そこの
一つがごっそり剥がれて肉が見えて痛々しい有様。病院へ行く
のも可哀想なんですけど、このままにしておくのも可哀想だし。
今度は注射と塗り薬が出ました。注射の効用は2週間程度、
また痒がるようなら来てくださいとのこと。なるべくなら行きたく
ないわね~。


昼ご飯の用意をしてから家のことを済ませ、昨日集めた町費を
まとめた頃に地域包括の方が2名でやってこられました。
母と面談し、色々話した結果、やはりどう見ても要支援1ではない
ということがわかったようで、私としてはこのまま週2通えるデイが
あればいいと思っていたんですけど(そのほうが基本料金が安い)、
今後のショートや最悪入所させたいってことになった時に要支援1
だと利用限度枠がかなり少ないので区分変更申請をかけた方が
いいでしょうと言われ、それもそうだと言うことで区変かけることに
なりました。それでも認定が降りるまでは要支援1のままです。
もう今月は利用限度額ありませんから、何事もなく一週間が
過ぎることを祈るのみです。

昨日あれだけ寒がって大騒ぎしたので電気掛け毛布買ってきました。
起き上がってストーブ付けに行くとは思えないし、旦那が出張行って
しまって、私が夜勤でいなかったりしたらいつまでも恨みがましく
言うに決まってます。電気毛布入れたとたん昨夜の寒かった話が
でなくなりました。ちゃっかりしてます。ーー;









母の退所 [介護]

母の認定調査の結果が来た。
要介護2→要支援1

母の介護保険は9月30日で切れている。
先月末になっても面談の連絡来ないので月末に
地域包括に連絡してみたら、「私のうちに何度も電話をいれて
いるのに連絡がつかなかったから、仕方なく施設に電話して
面談の日程を組んだ」というではないか。

電話っていっても役場ではなく下請け業者らしい、留守電にも
なんのメッセージも入っていない。しかも面談は10月4日。
介護保険切れているのに、そんな日付でいいのか?って相談員
が聴いたら「え?」っていう声がしたらしい。どうも10月で期限が
切れると思ってたフシがある。
とにかく認定調査が終わって通知が来たのは22日。
しかも要支援1。この日は夜勤だったので書留を受けれたから
よかったものの、要支援ってことは老健に入所できないって
事。(やばい!実費で入所ってことになったらものすごい金額
じゃん!一日でも早く退所させなきゃいかん!)慌てて相談員に
電話入れました。

施設上げて地域包括に抗議してもらったのですが、要支援2は
変わらず。母は今日一日施設で過ごさせていただき、晩ご飯の後
退所する旨を旦那とお昼に言いに行きました。
詳しい話はよくわからなかったでしょうが、今夜家に帰らなきゃ
いけないってことはわかってくれたようです。
「家に帰っても何もできんのになぁ」とボヤいていました。
今月は介護費の枠を目一杯使っても15万ぐらいの支払いに
なるようです。しかも残る一週間の間、デイなどは使えません。
施設での移動は車椅子です。歩けないことはないですけど
長距離は無理。そんな母が要支援1とはびっくりです。
普通にデイサービス受けたくても週に1回がいいとこでしょう。
一人暮らしじゃないので厳しかったんでしょうか?
食事作ったりや掃除洗濯はできません。本当なら生活支援の
訪問を毎日昼だけでも入れて食事なりとも自分で作って食べて
欲しいのですが私の仕事が不規則なので訪問介護も使えない
のです。宅配弁当のサービスも独居暮らし限定。

もちろんそれに応じる会社はありますけど金額が・・・
昨日今日とで母の部屋の大掃除(物置と化している)
月曜日に地域包括の方の面談があります。母を病院にも連れて
行かないといけません。今までは施設で出して貰ってたけど、
今後はかかりつけに行かないといけない訳です。
地域の会計をやってるので町費の集金もあり、九サボからは未納
の会員を知らせてくれって言ってくるし(そんな事言われても人数
と金額と把握できていないと思うのですけど)帳面探す余裕がない。
とにかく困ったわ~

今日は娘の二十歳の誕生日。ケーキ奮発しちゃいました。もう
やけ食いです(私が食べたい)



ただいま [介護]

ただ今戻りました。葬儀は名古屋で執り行われました。
伯母は若くして子供ふたり抱えて離婚。その後は実家で
生活。祖母を看取り、子供たちを育て上げ、私たち甥や姪
の面倒を見てくれました。
いつも人が集まりいろんな方々から「芳子お母さん」と
慕われてました。70過ぎても現役のホームヘルパー。
仕事の傍ら社協のボランティア活動も長年努め、何回か
その功労を表彰されて皇族の方とお食事をともにしたこと
を嬉しそうに話してました。
私も彼女の後押しがなかったら介護の仕事に進まなかっ
たかもしれません。

そんな彼女の人柄を偲ぶような、派手ではないのですが、
千葉や神奈川、静岡、福岡、佐賀・・・遠方の身内も集ま
り、和やかな葬儀となりました。
「葬儀」って、死者のためといいながら、本当は残された
人間の心の折り合いをつけるための儀式なのかなぁって、
最近思います。

「死」という結果に納得はできませんけど、通夜から葬儀、
出棺、初七日、それぞれの法要を執り行うことで、諦めと
いうか、「故人を安らかに送ってあげよう」と思う気持ちに
切り替わっていく。
いろんな宗派、儀式があるでしょうけど、人の思いの行き
着くとこはそこなんじゃないかなぁって。

私に出来ることといえば、安らかに天国に行けますように
と祈るのみです。

福岡から名古屋へ [介護]

翌朝も朝から雨。朝になって環境も違うしちょっとピントがぼけ
てる感じの伯母ですが体調はいいようです。
7:04の新幹線に間に合うように息子に博多駅まで送ってもらい
ました。そこからは車椅子で駅内に入ります。改札からは駅員
さんの先導もありスムーズにホームに上がれ予約してた新幹線
に無事に乗り込めました。

予約してた席は多目的室。普段は座席二つ分の椅子を伸ばすと
簡易ベッドにして使えるようになってます。
多分小さい赤ちゃん連れや病人を想定した部屋のようです。料金
は普通の指定席と同じですが2席分です。私達は3人だったので
もう一席同じ車両に席を取ってましたが、全員ここで過ごしました。
誰もが使えるのかはわかりませんが、大きな車椅子も入るくらい
の大きさでした。この部屋のすぐ前に車椅子を収納する格納庫と、
車椅子でも利用できるトイレがあります。このトイレにはオムツを
替えれる台も付いていました。男性陣や独身者にはわからないで
しょうけど、二十数年前私が乳飲み子抱えて乗っていた時は本当
大変だったのよ。泣き叫ぶ赤ん坊ほど厄介なものはないんです。
なんど隣の人を気にしつつ授乳したことか・・・でも赤ん坊がぐずる
のはおなか減ってるだけじゃないのです。
きっとそんなお母さんたちの声があったおかげで、こんな立派な
進化を遂げた車両になったんだわってちょっと感慨深かったです。
(まるで私が作ったような誇らしげな気分)

朝食を食べる暇もなかったので駅弁を買って食べたんですが、伯母
もしっかり幕内弁当を食べてました。ほんと、前日のうなぎといい、
駅弁といい、いままでの食事形態はなんだったの?って感じです。
病院ではせっかく作り直した入れ歯を入れようとせず、結果ああいった
形態でしたが、本人が食べようと思うと、入れ歯も入れるし、何でも
食べられるものなんですね。

これならベッド横にポータブル置いて、朝夕ヘルパーさんに入って
もらって、ポータブルの掃除と服薬確認。週3回近所にできたデイケア
に通所で入浴、晩御飯まで食べて帰る。
通所のない日は弁当を取る。足りないとこを訪問入れて在宅で行ける
のでは?なんて在宅ケアプランたてちゃったり。
ただ今回の移動でまた環境が変わってしまいますから、今後が心配です。

新幹線個室.JPG

窓の外を食い入るように見つめてた伯母。何を考えていたのでしょう。
もう一回ぐらい元気なうちに会いたいです。

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